ユニバーサルデザインとしてのマンガ -REPORT-

コミックケーションプロデューサー 曽川 大

日本が生んだマンガは、絵と簡潔な文章、映像的な表現手法、魅力的なキャラクターやストーリーによって、娯楽の王者としての地位を獲得した。最近はゲームの台頭がめざましいが、コンテンツはマンガが基本であり、二つのメディアはクロスオーバーをしながら成長を続けているという見方が正しい。マンガは老若男女を問わず親しまれている。誰にとってもわかりやすく魅力的な媒体という点で、ユニバーサルデザインなのである。ここでは、ユニバーサルデザインとしてのマンガの特性をさまざまな視点から捉える。

・マンガはデザインなのか

・マンガの現況

・マンガとユニバーサルデザイン

・マンガのユニバーサルな特性


●マンガはデザインなのか     

そもそもマンガをデザインの範疇に入れてもよいのだろうか。デザインというと形や色や形態といった意匠を連想しがちだが、現代社会におけるデザインの役割は拡大している。財団法人日本産業デザイン振興会が主催するグッドデザイン賞では、今日のデザインを「モノそのものだけではなく、モノが成立していく過程における問題解決の方法やシステム(例えば既存建築物の再生提案、あるいはモノを生産する環境型生産機構など)、またさまざまな社会問題や地域活性化課題に対する解決方法やシステムなどを含む」とし、デザインが見えるモノから見えないモノまでを包括するとしている。

1999年グッドデザイン大賞を受賞したのがソニーの「AIBO」という犬のロボットだ。受賞の理由は、ロボットの意匠というよりも製品を通して表現された考え方にある。20世紀のテクノロジーは実用性をめざして発展してきたが、「AIBO」が示したのは心を豊かにするテクノロジーのあり方だ。また、工業デザイナーの栄久庵憲司氏は著書「インダストリアルデザインが面白い」の冒頭で、同じ機能をもつモノにも人を引きつけるモノとそうでないモノが存在し、その理由は意匠や価格差以外に作り手の心にあると述べている。デザイナーの心がモノを通じて使い手側の心の琴線に触れるというわけだ。

このように、デザインを社会における問題解決の手法およびプロセスと定義すると、対象は限りなく広がる。娯楽として発展したマンガも対象となるはずだ。それどころか、大衆文化として定着し、幅広い人々の意識に強い影響を与えているマンガこそがユニバーサルデザインのメディアとして大きな役割を担うのである。


●マンガの現況     

マンガは日本で独自の発展を遂げた大衆文化である。子供から大人まで楽しめる娯楽メディアとして日本人の精神に深く根ざしている。マンガおよびマンガ雑誌は全出版物に占める割合はおよそ36%以上にものぼる。以前と比べ頭打ち状態ではあるが、98年の発行部数は21億3486冊で販売金額で5680億円あった。日本人一人あたり年間15冊のマンガを読んでいる計算になる。毎日新聞は、日本人の3人に1人がマンガ好きという調査報告をおこなった。(10月26日付け朝刊)また、マンガは国内ばかりか欧米やアジア諸国にも人気を広げている。21世紀にはマンガのコンテンツ産業がアニメやゲームと合わせ、自動車産業と同規模の経済効果をもたらすと予測する研究所もある。

商業誌と並んで重要なのが、同人誌のマーケットである。同人誌とは気の合う仲間同士が共同で編集発行する雑誌をいう。同人誌の発表・即売会として最大手のコミックマーケットは1975年に参加サークル32、参加人数700人でスタートした。商業誌に比べこちらは衰え知らずである。年2回(8月と12月)毎に開催する中で急成長を遂げ、1998年夏には、東京有明のビッグサイトで33,000サークルが参加し、38万人の来客が訪れるビッグイベントとなった。こうしたマンガ文化を支えるアマチュア層は厚く、高校や大学ではマンガ研究会と称するサークル活動が活発である。

出版以外でもマンガは日本文化として定着している。万人受けする親しみやすさがコミュニケーション手法として、企業はもちろん官庁や自治体までもがマンガをツールに採用している。「文章をすべてマンガに変える」というキャッチフレーズでトレンド・プロ社は官庁の広報や企業の宣伝広告を受注し、年間1億の売上を上げた。省庁では、科学技術庁の「こども科学技術白書」や環境庁が「マンガで見る環境白書」がシリーズ化したのをはじめ、文部省が初めての試みとして生涯学習審議会の中間報告にマンガを活用した。介護保険等の広報誌にマンガを利用する自治体も多い。

学問としてマンガを取り上げる大学もあらわれた。京都精華大学では、マンガ学科を2000年4月にスタートした。ストーリーコースとカトゥーンコースでのプロを養成すると同時に、学術的な研究をおこなう。同大学が主体となり、日本マンガ学会を2001年7月に旗揚げする計画があるという。高校入試の問題にマンガが使われる例も表れた。99年には三重県の県立高校の入試で4コママンガの最後のふきだしにセリフを入れて250〜300字でその理由を述べさせる問題が出題された。50点満点中ふきだしに4点、説明に10点を配点した。群馬や岐阜でも高校入試にマンガが使われた例がある。

マンガは地域住民が価値を共有し誇れる文化資産として認知されつつある。これを象徴するのが地域づくりへの取り込みや公立図書館の設立だ。地域活性化に役立たせようという動きは、マンガの文化施設だけでなく、まちづくりやイベントなど住民を巻き込んだあらゆる動きを含む。地域の個性や特色を打ち出し、郷土の魅力を高め都市との競争に勝つことが目的だ。現在、マンガ美術館は全国に14館が存在し、2館が準備中である。マンガ専門の公立図書館としては、1997年に広島市まんが図書館が誕生した。その後、宇都宮市図書館や滋賀県高月町立図書館が漫画の蔵書を始めた。貸出率99%を達成して市民から好評を博しているという。

美術界もマンガ文化に注目している。1990年に東京国立近代美術館が「手塚治虫展」を開催して以来、さまざまな漫画家の展覧会が催されている。最近では、98年から99年にかけて、東京都現代美術館や広島市現代美術館を巡回した「マンガの時代―手塚治虫からエヴァンゲリオンまで」が注目に値する。約260人のマンガ家の手による約500編を一堂に集めた戦後のマンガ史をたどる過去最大の展覧会となった。研究では1988年開設の川崎市民ミュージアムが注目される。マンガを独立した部門とし、展示室と学芸員をもつ唯一の美術館である。江戸中期以降の木版画など、約4千点のコレクションを持ち、96年には「日本の漫画三百年」という大規模な展覧会とシンポジウムを開催した。世界水準のアートとしてのマンガを地道に研究している。

もはやマンガという共通体験は無視できないほど日本に広がっている。電車の中でビジネスマンがマンガを読みふける姿は日常化した。マンガ的なキャラクターは電車の自販機や銀行のATMで客を迎える。工事現場ではマンガが注意を促し、商店街にはマスコットとしてのマンガキャラクターが描かれている。世田谷線の車両デザインには「サザエさん」が描かれ、全日空には「ポケモンジェット」が登場。三機が国内線で就航している。

マンガおよびキャラクター商品専門の古書・古物商の「まんだらけ」は1977年創業以来成長を続け、99年には従業員100名で売上31億を計上するまでになった。2000年には資本金を8億にし、東証マザーズに株式上場を果たしている。子供からサラリーマンまで、男女を問わず多くの客が訪れていることから、ストックとしてのマンガがノスタルジーを超えた付加価値を生み出すことが伺える。

まんだらけをはじめ、マンガ専門の古本店がチェーン化して急成長する一方、街にはマンガ専門喫茶の新規オープンが続いている。蔵書の多さを売り物にする図書館型と飲食部門で魅力を高めるグルメ型に続き、店内でAVソフトをそろえたりコピーやファックス、ゲームを備えるコンビニ型も登場している。郡山市のインターネット未来まんが館・プリーズ安積店は890uの店内に120人分の席を設ける。5万冊のマンガと200種類の新聞・雑誌を揃え、24時間営業で飲み物や食事を提供する。利用料は入会金200円。最初の一時間は500年で以後15分毎に100円を払う仕組みである。オープンから100日目で会員1万人を突破した。


●マンガとユニバーサルデザイン     

マンガの魅力は「おもしろさ」に尽きる。おもしろさとは何か。笑いや興奮といった感情や知的満足、癒しにいたるさまざまな欲求を満たす表現に他ならない。マンガがユニバーサルなメディアである第一の理由は、すべての人々が求めるおもしろさを手軽に提供していることだ。マンガは基本的に雑誌や単行本として流通するメディアだが、他の娯楽、例えば映画やテレビ番組と比べ制作費が格段に安い。大量生産や再生紙の利用、モノクロ印刷といった要因もさることながら、作家層が厚く、量・質ともに量産を支える体制が整っているためだ。日本で月刊誌や週刊誌全体で年間270〜280銘柄のマンガが流通している。その中で月刊あるいは週刊の発行部数が100万部を超える雑誌が14誌存在する。マンガ週刊誌は通常400ページで20本ほどの作品を掲載しており、値段は200円程度だ。

第2に、マンガは性別、年齢、障害の有無、いかなる趣味にかかわらず、あらゆる読者に対して「何かおもしろいこと」を提供する。ユニバーサルデザインには、一つのモノで幅広いニーズに応える最大公約数的手法と、さまざまなニーズにいくつもの選択肢を提供する手法がある。前者には、例えば、どのような身体状況の人にとっても便利な自動ドアがある。一方、後者には駅のコンコースに設置されたエレベータやエスカレータ、階段、スロープでのアプローチ手段がある。利用者が身体状況に合わせて設備を選択することが可能だからだ。 マンガも同様の性質をもつ。ロングランとして幅広い支持を受ける作品は前者だ。1946年に新聞で連載がはじまった「サザエさん」は現在、テレビアニメ化され平均25%の視聴率をもつ人気番組として定着している。親子三代にわたって愛されているマンガである。「鉄腕アトム」や「ドラエモン」も誰からも親しまているマンガだ。一方、後者のマンガはきわめてバラエティに富む。海外でも大ヒットとなった「美少女戦士セーラームーン」や「ポケモン」は小学生を中心に圧倒的な人気を博した。マンガが子供向のためだけではないことは、少年誌のほかに青年誌やレディスコミックといった雑誌が氾濫していることや、考え得るすべてのテーマがマンガ本として出版されていることからも伺える。1986年に出版され100万部を超えるベストセラーとなった「マンガ経済入門」をはじめ、政治、医療・福祉、教育、歴史、芸術、文化、社会制度、癒しといった実用的なテーマでマンガの特性を生かした作品が数多く発行されている。実用分野では、経済や宗教、哲学といった初心者にとって難解な内容をやさしく表現する入門書としての体裁が目立つ。

第3に、マンガは作り手としてみた場合、映画やテレビ番組のようにハードルが高くなく、誰にでも描ける親しみやすいメディアである。大抵の人々は子供の頃、好きなマンガキャラクターを真似して描いた経験をもつ。落書きからはじまり、実際にストーリーを考えセリフを入れることに熱中する者も多く生まれる。レベルはさまざまだが、そうした体験をとおして子供達はマンガの本質を会得する。マンガの本質とは前述したとおり、おもしろいことである。そして、ここが肝心なことだが、おもしろいためには必ずしも達者な絵である必要はないのである。ここが「スーパーマン」のような完成されたデッサン力を前提とするアメリカンコミックスと根本的に異なるところだ。

マンガの基本要素は絵とコマと言葉である。さらに、見えない部分でテーマやストーリー、キャラクターがいった重要ファクターが存在する。絵は確かに重要な構成要素である。しかし、絵が未熟であっても全体の相乗効果によりおもしろい結果が生まれればマンガとして成立するのだ。実際、マンガ雑誌には一見稚拙な絵柄と思われる作品が少なくはないが、慣れてしまうと独自のパワーでぐいぐいと引き込まれることがある。子供達は自らの体験を踏まえて玉石混淆するマンガと親しみ、選択眼を養っていく。当然、成長の過程でマンガの好みは多様性を帯びるだろう。そして、そこにはどのような嗜好にも対応する作品が豊富に提供されているのだ。

マンガはおもしろいこと、手軽に入手できること、幅広い読者層および多様化する嗜好に応えること、さらに身近で親しみやすいといった特性によりユニバーサルなのである。


●マンガのユニバーサルな特性     

マンガには、共通の表現コードが存在する。これを踏まえなければ読者にわかりやすく伝わらない最低限の約束事である。ADAガイドラインのようなもので、絵とコマと言葉(音)で成り立つ。さらに、目に見えない要素としてテーマ、ストーリー、キャラクターがある。特にキャラクターはマンガをおもしろくするための最重要ファクターといってもよい。

1.絵 絵は作家のオリジナリティを表現することが第一の条件である。必ずしも正確なデッサン力を必要とするものではない。ギャグからストーリー、ナンセンスといったジャンルの中には極めて多彩なマンガが存在するが、作家は自らの世界を表現するため、独自の画風を展開する。オーソドックスな描写を中心に、ギャグやナンセンスの中にはヘタウマとよばれる子供の落書き風のスタイルや、劇画風の絵柄を起用するものもある。テーマと絵のズレからくるおもしろさを狙ったものだ。

絵には記号化された表現が多用される。記号は共通語としてさまざまな作品を瞬時に理解する手助けとなる。代表的なのが、鉄腕アトムやドラエモンに代表される丸みをおびた絵柄や表現の様式化である。丸みはあたたかさと安心感を与えるため、誰にでも抵抗感なく受け入れられる。嬉しいときや怒りを表す動作の様式化も同様だ。子供がマンガを真似するときには、こうしたいくつかの様式パターンを習得するのが常である。

さらに、生理現象として用いられる記号の代表が汗である。実際の人間は熱いとき以外に汗はかかないが、マンガでは驚きや不安と表す心理描写に汗を多用している。目や眉毛の表現も極めて記号的だ。喜怒哀楽を表すのに極めて有効だからである。主人公には光り輝く瞳が描かれることが多いが、これは純粋で誠実な人柄や強い意志を表すのに適しているからだ。その他にも怒ったときの額の青筋や性的興奮を覚えたときの鼻血、愛情表現のハート、目が回ったときに頭上を飛び交う星のといった一目で状況がわかるものが記号化して受け継がれている。

線も重要な記号表現だ。動きを示す動線や心理描写のために背景や表情に描かれる線、キャラクターを際立たせるための集中線や特殊なインパクトを伝える線といった具合に、効果を演出するさまざまな線が用いられている。背景描写として風景や線が描き込まれる一方、余白として意図的に残す技法もある。間や余韻の中で、読者に自分なりの解釈をくわえさせる狙いがある。

こうした記号的表現は便利な一方、マンネリ化を招きやすい。視覚的な刺激がなくなると、マンガはそのパワーを失速する傾向がある。こうした記号化の危険性に対抗するため、リアリズムを追求する方向が劇画を中心に存在する。ただ、マンガにおけるリアリズムとは正確なデッサンというよりも人物や背景やモノを固有の存在として表現することを示す。人物ならば生い立ちや健康状態が滲み出ていたり、風景ならば場所が特定できるといった具合である。記号化がユニバーサルデザインでいうところの最大公約数であるならば、リアリズムは選択肢の提供といった位置づけだろう。

2.コマ マンガは連続する絵である。その連続性を表現するのがコマだ。したがって、コマには第一に時間を区切る役割がある。コマの流れが時間の流れに対応するのである。

また、コマは同じ一つのコマの中で連続した時間の流れを同時に表現する機能ももっている。一連の状況を同時に見せ、読者の全体的な把握を促すのだ。 また、コマには状況を切り取って見せるという、時間を超えた役割がある。そこでは過去から現在、未来へと向かう流れにストップモーションがかけられたり、時を交差させて見せることで状況説明をよりドラマチックにおこなう効果が得られる。

空間としてもコマの役割は大切だ。カメラのファインダーのように境界線をつくり、その中と連続性の中でストーリーを発展させる。コマの大きさは、ストーリーの流れに沿って大小さまざまな形に変化する。見せ場は大コマとなり、そこにいくまでの状況設定は小さなコマでテンポよく見せるのが常道だ。時には、枠のないコマも登場する。そこには時間や空間の制限がないため、読者は時空を超えた解放感を得る。

コマの形は四角形に限らない。登場人物の動作や風景、心理描写の必要性に応じてさまざまな四辺形が使われる。ただし、ごく特殊なケースを除いては丸や三角といった形態は用いられることはない。四角形の組み合わせが視覚的に最も効果的なコマの流れをつくるからだ。

さらに、見過ごせないのがコマとコマの間に存在する空白である。ここは絵から絵へと移る移行過程なのだが、読者は次のコマに移るこの瞬間にさまざまなことを連想する。スコット・マクラウド氏は著書「マンガ学」の中で、コマとコマの隙間でマンガは読者の五感を補完すると述べている。確かに、コマの中の絵と言葉によって一部の感覚は満たされる。美味しい料理が描かれ、味が説明されていれば、バーチャルな視覚と味覚は満たされる。だが、それは一つのコマが与える情報にすぎない。ところが、読者は連続した食事シーンを読みすすむうちにコマの隙間で瞬時に自分の経験や想像を膨らませ、コマの中だけでは表現できない料理の味や臭い、食器の感触といった五感すべてを連想するというのである。マクラウド氏によると、マンガは絵や言葉だけではなく、多分に読者の想像力に補完されて成立するインタラクティブなメディアなのである。

3.言葉と音 言葉はフキダシと呼ばれる風船のような枠内に書かれる。言葉は極めて簡潔である。絵が状況説明や心理描写の大半を担うので長い説明は必要としない。少年誌では、言葉がフキダシの中で5行以上になると読者が読み飛ばすといわれているくらいだ。しかし、短いなかで共感や感動を呼ぶことは簡単ではない。マンガは大衆文化であるから、言葉も時代背景を反映する表現であることが条件だ。絵にも共通することだが、歴史ものならば時代考証を踏まえた表現が必要だし、現代ものであれば生き生きとした表現が必須である。

マンガで使われる言葉に注目し、生きた日本語のテキストに採用している雑誌がある。日本文化を学ぶ米国人向けの雑誌「MANGAJIN」だ。編集長のボーン・シモンズは、マンガを題材に日本の社会や日本語の理解を深める編集方針をとっている。

ところで、フキダシの機能は単に言葉を囲うことにとどまらない。フキダシ自体がさまざまな絵画的要素を発揮して登場人物の感情を表現したり、ストーリーを進行させるナレーションの役割を果たしたりする。

また、音は自動車のエンジンや人の叫び、物が壊れたときの効果音として文字表現される。フキダシ同様、音にも絵画的な手法をほどこされることにマンガの独自性がある。一方、いわゆる音ではない静けさや心理描写、特殊なインパクトが音として表現されることも多い。線をはじめとする絵画の記号表現と同じ次元で用いられているのだ。

4.テーマとストーリーとキャラクター マンガほど作家個人の世界観が反映されるメディアは少ない。日本では、原作者とマンガ家の分業制は確立しているが、通常はマンガ家が原作および作画をおこなう。商業誌に掲載する売れっ子作家はアシスタントを雇うが、作画の協力が中心でテーマやストーリー、キャラクター設定といった部分には関与しない。ましては、アメリカンコミックの制作現場のように徹底した分業制をとるケースは極めて稀である。

商業誌においてテーマやストーリー、キャラクター設定といったプロセスに関与するのは編集者だ。編集者は第一に読者の視点にたって作品がおもしろいか否かを判断し、適切なアドバイスをおこなう。差別的な表現についてもチェックを入れる。商業的な成功を求めるのは当然だが、売れ筋を作家に強制することはあまりない。読者は常に新たなおもしろさを求めており、現在の売れ筋が将来も成功する保証はどこにもないからだ。したがって、作品の本質的な部分はマンガ家一人が担うことになる。結果、作品にはマンガ家個人の考えや世界観が色濃く投影される。作品をとおして作家の人格が伺いしれることもあるくらいだ。

マンガにかぎったことではないが、作品をつくるうえで基本となるのがテーマである。ただし、マンガではおもしろさが何よりも優先される。正義、友情、愛といった一環したテーマがあるに超したことはない。しかし、それよりも読者を引きつけるパワーがマンガの独自性なのであり、そのパワーはストーリーとキャラクターによって生み出される。前述した絵、コマ、言葉、音といった構成要素すべてはストーリーとキャラクターを盛り上げ、より魅力的にするための装置として機能する。

特に、キャラクターこそがおもしろさを左右するといっても過言ではない。キャラクターとは何か。登場人物といってしまえばそれまでだが、キャラクターは作者の世界観を反映し、ストーリーをつくりだす分身あるいは相棒なのだ。ヒット作を飛ばしているマンガ家がよく言うことだが、絶好調のときはキャラクターが一人歩きしてストーリーを勝手に作り出すという。制作サイドのコントロールから解放され、マンガの時空で生き生きと活躍するときに魅力的なキャラクターが生まれる。

読者がおもしろいと感じるのは、テーマやストーリーよりもキャラクターの魅力によるところが大きい。なぜなら、一人歩きするキャラクターは読者にとって友人やヒーロー、憧れや憎しみとしての対象であり、そこにはバーチャルな人間関係が生み出されるからだ。人は対人関係において、テーマやストーリー、言い換えれば信念や行動パターンを常に意識しているわけではない。土壇場においてはそうした部分が露出するだろうが、いつも主義主張をされたのでは疲れてしまう。マンガのキャラクターもそうした普段着の部分といざとなったときの本性、例えば正義感や悪党、あるいは大いなる間抜けといった個性の葛藤といった極めて人間的で身近な姿が読者の共感を呼ぶのである。